天気の話

ヲタクの世間話的な何か

ジオウの夏映画見てきました:ウォズ!!!

夏映画を見ました。いまいち正気に戻れていません。
※以下、ネタバレ回避などまったく考慮していない書き殴りですのでよろしくお願いします。

私はやっぱりどうしようもなく思春期に少年漫画を浴びて育っていて。ソウゴ君のようなある種暴力的に強い「主人公」が好きです。強い輝きが好き。そうして物語として、彼のような強さが必然的に何かを踏みにじるということをちゃんと示すものが好き。更にそれに向き合わされて傷ついてもそれでも自分の芯を握りしめて離せないキャラクターが大好きです。諦めの悪い奴が好き。

でもってウォズのような、自分を「賢い」「ドライだ」と誤認している風な、そのせいで肝心なところで情に足を取られる愚か者が好きで、ああいう「主従」が好きです。不均衡なのに均衡が取れている関係性。なんていうか、自分で主を選ぶ従属モンスターというものが好きなんですね。

だからテレビでも映画でもその2人にどうしても意識が偏ります。それ以外のことも考えはするけど、こっち先に吐き出さないと他にいけない。駄目だこりゃー。
(同じくらいじわっと心にひっかかってついつい考えてしまうのは飛流君のことなんですが、とっちらかるんでこれは別で書こう)

https://twitter.com/kumorimo/status/1155039205497507841?s=20

「愛 に できること は まだ あるかい」

あるよ。あったよ。ソウゴ君とウォズが示してしまった。
殉教に至るような敬愛と強い意志は、甘ったるくて薄っぺらくてどこまでも優しい日々で育まれてしまうんだと。
愛も感動も語られ尽くしてアーカイブされまくる情報過多の現代でも、物語が物語られることは必要で、それがないと生きてる甲斐がわからないみたいな奴らもいて。そいつらは馬鹿と悪ふざけをミキサーにぶちこんだみたいな世界でウォズが高らかにソウゴの帰還を祝う時、あの最高に一発ネタとして優秀な祝う仕草を見ながら、馬鹿みたいに泣いてしまう。
マジで主従好きなオタク全員この歌の歌詞を読んで泣けばいいと思う。

ていうか1つ前のブログ記事の後半で関係性萌えオタクの限界ローリングを映画公開前に書きなぐっておいたら、だいたいほぼほぼそのまんまをお出しいただいてあっしぬ…許して今ちょっとどんな顔したらいいのか平成ライダーキックが頭に入ってこないんだけどそれ笑うとこ?笑うところですね??情緒バカになっててどうしたらいいかわかんねえなって困惑してたらそのまま映画終わった感じだった。

ウォズが真の裏切り者になる瞬間に、ソウゴ君はその場にいないから、あれはソウゴ君に許してもらうためでももう一度信じてもらうためでもなく、ただただウォズが自分自身を、自分に根を張った情だの愛だのを裏切れなくて選んだ答えなんだな。
プロメテウスが火を人に与えてしまったように、ウォズは超越存在をやめて「人間」のところへ降りていった。そうさせたのはソウゴ君だし彼の周りにいたゲイツ君やツクヨミ君やおじさんなのだ。

メタ目線での話をしますけれど、一次創作だけでなく二次創作ですら、ちょっと長い話を書いた経験がある人は多くが口を揃えて「キャラが勝手に動きだす」って言いますよね。あれマジで、最初に起承転結くらいのざっくりした全体の枠を立ててキャラを配置したはずが、具体的なセリフや動きをいざ当ててストーリーを転がし始めると、いやこれ頑張ってもこっちにはいかねえな?ってどんどん脱線して違うゴールに向かうみたいなのある。
脚本家がそうしたとか、役者さんがそう作ったとか、そういう1つ2つの要因でシンプルに因果関係を説明できない「流れ」でキャラがそうなるっていうの、確かにあると思うんですね。
それってある意味で「キャラそのものの選択」って言えません?
ゲイツもウォズも、いざソウゴ君と出会わせて会話して動いていったら、なんかこれギスギスした敵同士にしても「面白くない」な、「無い」なって、無理ある流れだなって判断された結果が、最初の構想からズレたトンチキトリニティなんだなって私は認識していて、それめちゃくちゃにエモーショナルじゃないですか。

1年おっかけてきた大人が映画のエンドロールで泣きそうになるのってそういうことなんだと思う。
能動的に今回の夏映画を見に行く大人の多くは、1年かけてソウゴ君を好きになって、クジゴジ堂でわちゃわちゃやっている4人を愛してしまって、メタ側にいたウォズ、お前もきっとそうなんだろ、愛してたよな、あの場所やそこにいる王様志望の青年のことを好きになってしまったんだよな知ってたよ、馬鹿だなあ馬鹿だよなあ、あれは虚構の、画面の向こうにある世界なのに。

「こういうのだと萌えるんだけど泣くな!」っていう方向性としてはあとこのへんなんですけど、士さんの『だいたいわかった』くらいのガバさでただし本当にそっち行ったから限界オタクは無理です。

願うことから始めて、って。

ソウゴ君はバトルでの戦闘力も主人公らしくサイキョウなわけですが、映画で勝負の決定打になったのはソフトパワーというか、これまでのテレビでのストーリーが積み重ねた関係性の重さだったところもエモーショナルだなと思います。
ゲイツ君がボロボロになりながらウォッチを取り返してくれて、ウォズが降臨暦を破りゲートの均衡を壊してくれて。テレビで士先輩が発破かけた通り、ソウゴ君が願いを捨てずに叫んだなら、きっと両肩のライダーは応えてくれる。

ちなみにウォズが本を破り捨てたシーンには驚かなかった方です。むしろ気持ちとしては「やっとかよォ!」でした。正直ずっと、もうそれ鬱陶しいから捨てろや思ってた。何か困る度にすがるみたいに本見るんだもん。違ぇだろ目の前のソウゴを見ろ、ゲイツを見ろよって思ってた。向き合え、お前が探そうとしてる答えはそこにない。

そういえば映画の最後のあれ、ゲイツ君とツクヨミちゃんが謎空間に入れた瞬間は、正直ぞわっとしました。ウォズが「人間」になった話と見せかけて、むしろ他の2人の方がウォズ側の「人ならざるもの」として戻ってきた話だった?って。
他の方の考察で、ソウゴ君の無意識の巻き戻しがウォズにも作用したとか、クォーツァーの皆さんの餞別では等があって、そういうのの方が平和で良いです。

一方でこれは割と、私の気持ちとしては「前向きな」解釈なんですが、最後のウォズは、斃れたウォズとは別のウォズなのかなって漠然と思いました。別って言いつつ、ウォズはウォズなんですけども。
彼はほらメタ側のキャラクターだから、映画の枠組みの中では斃れたけれども、それでもどこからか次元を超えて彼の王様のところへいつも戻ってくるんじゃないかなって。
ヘルシング(漫画のね)を思いだしました。数多の可能性の濁流を超えて、彼は彼の得た主の元へ戻ってくるのだ。泣くわー無理無理。オタク、クソデカ感情が好き。

最後にMOROHAの曲をYoutubeで聞いちゃった時の深夜ローリング貼っておきます。このあたりから、なんでクール系ですみたいな顔してんだろあの3号ライダー、いちばん情が重いのお前ちゃうんかってずっと思ってた。

https://twitter.com/kumorimo/status/1131623537993584641?s=20

ソウゴ君はずっと目をそらさずにウォズのそういう中心を見ようとしてた。ゲイツのことも、ツクヨミのことも、同じように。
我らの魔王は格好良いな。ウォズもそう思うんでしょう?

ジオウの夏映画まだ見てません

個人的には、できればネタバレは踏まないでおきたいなあと思う方です。

 

小学生の頃は図書館で毎日のように本を借りていたタイプの人間なので、物語にハマるとついつい先のパターンを予想しちゃうわけですが、自分の予想の外を行ってしかも面白いっていうのが最高なわけじゃないですか(面倒くさいオタク)

なので「自分の想像外に新鮮に驚きたい」欲求に従いネタバレはそっと避けますし、なんなら他人の展開予測も薄目で読み飛ばします。
ただしインターネッツはフラつきたいの。何故なら既に見ている作品への感想やツッコみや解釈・分析を読むのは好きだから(更に面倒くさいオタク)

※二次創作まで行くと、書き手の好みが前面に出てしかも1つの話の中で多少は辻褄を合わせようとするがために、大抵はパラレルになるので読めます。

ということで、自分がそういうタイプなために、自分自身の展開予想も、ツイッターなどに垂れ流すのはためらうんですよね。
でもやっぱり思いついたことって言いたいじゃないですか?(もはやクズの言動になってきたオタク)

だからblogに畳んでおくことにしました。これなら見たい人が見る。
映画は明日っていうか今日公開ですね、おめでとうございます。

 

ウォズの祝え三昧の件です。

2日前くらいに映画の監督インタビューの動画(https://www.youtube.com/watch?v=5OhYkrygk2o)を見たんですが、これで突然「あーあれそういうことかな」と腑に落ちたんですね。
(もし当たってたらネタバレ踏んだみたいなもんだよ。今度から公開前の関係者コメントを見るのは控えようと思う。)

最初に告知でゼロワン祝ってるウォズ君を見たときは、反射的にイラッとしましたね。私はわが魔王モンペ気味なので。
ウォズは性格的に根が甘い男に見えるので、たぶん裏切るとかムリだぜって3月の終わりごろから思ってるんですが(別アカでブツブツ言ってるツイート確認したらそのくらいでした)それはそれこれはこれ、飛流君の時は祝わなかったから許せたけど、ぽいぽい祝ってんじゃないわよこの尻軽!って1秒思った。嘘です5秒くらいイライラッとしました。

でもあれは、ソウゴを祝う延長線上のお祝いだったってことかもしれない。

「オーマジオウ以降にライダーは生まれていない」って話ありましたね。
「じゃあゲイツは何やねん」てネットでは口々に言われてるわけですが。
ゲイツ君はスゴイミライから来たのか・むしろ過去から来たのか・オーマじいちゃんが作ったのか…よくわかんないけど、ジオウという物語の登場人物であるが故に、まあ割と自由に設定できます。

でもゼロワンははっきりと「ジオウの次のライダー」ですよね。
メタ的な意味でそこは動かせない。
だからゼロワンが、あの存在こそが、ソウゴ君がオーマジオウルートを脱した証拠になるのかなって。
ソウゴ君は真に大魔王となり、クォーツァーの目指すあるべき様、つまりライダーの歴史が終了する方向に行くはずだった未来を踏みにじり、次のライダーがやってきた。
だからウォズは、ゼロワンの登場を高らかに祝うという流れなのかなと。
(オーマじいちゃんは奪われる前に凍結させたという説明になるのかもと少し思いましたが、これは適当に考えすぎかな。)

 

 

突然限界オタクモードに突入しますけど、ウォズのキャラの在り方がマジで好みも好みド真ん中で毎週語彙が消し飛ぶんでなんとかしてもらえませんかね?!!!
これはちょっとだけツイッターでも書きましたが、あっちもこっちも裏切って裏切りゲイツ君にチベスナ目で見られつつ、彼の立場から見れば最初からずっとクォーツァーに属していただけなんじゃないか。
でも今回初めて、彼は真に役割を裏切る。帰るはずだった場所を切り捨てる。そんな流れだったらエモくて泡を吹きそうだけど映画鑑賞には限界オタクじゃない同行者がいるので耐える必要があります。つらい。

だってリンクした監督コメント動画の途中のあれ!檻を挟んでソウゴと背中合わせに座り込んだのウォズですか???そうなんですか?????あの1カットでオタクの心臓はホッピングだよ駄目だよ。
もしも、シーンの構図として檻に囚われているのはどっちでしょうねみたいな含みだったら無理だよ待って待って待ってって1週間くらいNowLoadingで何らかの電波を読み込み続けの可能性がありますよ。無理。重い。


ウォズは最初から色々隠してることだけはわかるキャラだった癖に、まだ降臨暦に登場する前からゲイツ君をちょいっと助けてあげたり、引き留めるためとはいえ「友情を感じてたように見えた」って指摘できる程度にはソウゴとゲイツの関係性をちゃんと見ていたり、情が漏れちゃうタイプなのかと思ってた理由はそこらへんです。

なんなら初期はソウゴに対するよりゲイツ相手の方がよっぽど人間の対応してた。たぶん付き合いの長さの差だと思う。
初期のウォズまじで、ソウゴが殴られて転がされてもため息でスルーしてるからな。
視聴者としていつの間にか「我が魔王!」って駆け寄る状態を当然みたいに感じてるけど、これが茹で蛙現象ってやつか恐ろしい…。

でもそんな二重三重スパイムーブの彼をソウゴは初期からずっと責めない。
よくわからん便利な追っかけみたいに扱ってた頃も、そうでなくなってからも、ウォズのことをじっとまっすぐ見て、「本当のところ」を掴もうとしている。
そうやってウォズは掴まれちゃったんだなあと見えたのがテレビの43話なんですが。

そんな主従関係、ドドドド性癖ですありがとうございます…!


どうせならこういうエピソードもあればいいのにって思ってることもついでに書いておきます。
ゲイツ君からウォズに向かって「俺からするとお前も、常磐ソウゴ自身に惹かれて仲間になったように見えていたぞ」って27話の件をやり返してやってほしいですね。
映画のタイマンシーンあたりそういうの期待しちゃうんですよね!こうなったらとことん少年漫画的にエピソード回収してってくれませんかね!駄目かな!


なおここまで全てまだ映画を見ていない人間の妄想です。お疲れ様でした。
週末、なるべく早目に行って、これ以上妄想が煮詰まるのは回避したいところです。

ジオウのキバ編を純粋に恋愛物として見てみたよ

昔から、理屈と膏薬は何にでもつくと申しまして、辻褄を合わせようとしてみれば案外なんとかなるもんです。

とはいえ筋道が十重二十重と増えてまいりますと、筋道同士がぶつかって工事中になっちゃったりしてね。いっつまでも普請中の渋谷みたく、3日経つと行先への出口がわからなくなってね。そこらへんの捌き方が小説家やら脚本家の先生の腕でもあるんでしょうか。
マクラが長いねどうも。

 

衝撃のマンホールですよ。違う!そう!(いだてんすげえ面白いから皆、大河も見ような!)キバ編の話です。
細部のクセが強すぎて、よくわかんないうちに暴れて去ってった台風みたいな2話だったなというのが、率直な初見の感想なんですけども。

とはいえ昨日の43話で、ソウゴがオーラに助力するのはどうなんだ?ってやっぱりとっさに思うわけです。あの台風は集団白昼夢だったってことですか?
でもその直後、いやこれ案外、辻褄合わせようとすればちゃんと合うんじゃないかな?と思ったんですよね。
他に同じこと書いてる人がいるかもしれないけど確かめずに書いてみる。たまには長文書きたい気分なもので。あ、書いてる人間はライダーシリーズ超ビギナーです。

 

あの話を、シンプルにタイトルの通り、青年に成りかけの男子の初恋、それも歳の差恋愛の話として見ると、結構すっきり筋が通るんじゃないかなって。

甘…くはないと思うんだけど、切ない初恋、という表記ならギリまとめられるような気が、時間差でしてきました。

 

祐子さんが真実セーラさんだったかどうかはこの場合、ギミックの話なんでどっちでもいいです。

ソウゴ君は年上の綺麗な女性にときめいて、女王になるなんてぶっ飛んだ発言のおかげでシンパシーも抱いてしまって、きっと思い出の彼女だって思いこんで、一方的に独りよがりに恋をした。
高校生の恋として、納得感ある。わかる。
相手の背景をある程度でも把握する前に、ちょっと接しただけの印象で恋をしてしまって。それって私を好きなんじゃないよね?私と付き合うイメージが好きなだけだよね?みたいなやつ。
男女問わず、そこそこの率で発生してると思う。

一方の祐子さん視点で見ると、まあ…かわいいよね。奥野さんの顔がかわいいとかそういう話ではなくて(いや例えば夏映画での和装とか、もうかわいい以外で形容できない時あるけどそれはそれ)。
年下男子があんなまっすぐに、オレあなたのこと好きですって態度で来たら、悪い気はしないっていうか、絆されますよ。煙に巻くような「ずっと雨」って心象風景の表明に対して「傘になる」なんて答えは正直満点じゃん。雨がつらいってことだけは明確に伝わってくる言い方だったし。

でもそれは「絆され」以上ではなかったんだな、というのが最後の教会シーンでわかる。


ソウゴ君がどんなに願っても頼んでも、彼女は復讐をやめなかった。
あげくに最後の教会襲撃は、もはや復讐の形を取ってすらいない。だって哲也さんの結婚相手は祐子さんの服役中に新しくできた恋人だった。ただただ哲也さんを他の奴には取られたくないっていう独占欲オンリーでやってる襲撃だよね。
祐子さんが恋していたのは、最初から最後までずっと哲也さんだけだった。ひょっとしたら恋から執着だけに変わってたかもしれないけど、「焦がれてた」と表現した方が より近いかなあ。

ソウゴ君を気にかけてはくれたし、何なら「子作りしちゃう?」って話題を持ち出すくらいには好きになってくれてた。(後から年齢考えて、おいポリスメン案件ギリギリじゃねえかって我に返ったので、釈さんも奥野さんもすごいですよ本当に。)
でも恋はしてくれなかったよね。祐子さんにとってソウゴ君はどこまでいっても、かわいい年下の男の子でしかなかった。

 

「傘はいらない」ってつまり、あなたの恋心は受け取れないってことだよね。
あなたの民にもならないってことだよね。
彼女は明確に犯罪者で、しかも民ではなく女王様だった。
ソウゴ君の心も救いも受け取らないよって。こちらの罪の共犯者にもならなくていいよって。

抽象的な表現ではあるけど、祐子さんはソウゴ君を全力でフってる。
歳の差恋愛の成就しないやつの王道ですやんこれ。

 

キバ編の36話の時点で、ソウゴ君は死を巻き戻せるんですよ。
ゲイツ君とツクヨミちゃんを巻き戻した後の話なんですよあれ。
でも巻き戻さなかった。巻き戻せなかった。私はあなたの傘はいらないって拒絶されたから。

 

ソウゴ君、ドがつくほどの実利主義な面があるし、この流れでオーラを恨んで復讐に走る性格ではないですよね。
でもってこんな思いっきりフられた男子、周囲もフォローできんよね。そりゃ一緒にアップルパイ食べて、残すんならもらうわ!って、普段通りのやりとりくらいしかしないよね。どうとも言えないし何ともしてあげられんもんね。

そうして、祐子さんの遺言は「人類の傘になれ」だから、彼女の遺志を尊重するなら余計に、オーラのことを放ってはおけない。
目の前で苦しむ民は助ける。それがソウゴ君の目指す最高最善の魔王だ。

 

っていう流れだと、マンホール編2話を無かったことにしなくてもよく、最新話の動きとそれなりに辻褄も合うと思うんですが、どうですかね。

(ギンガの扱い雑じゃね?という点は私は前提の知識が不足しすぎててどうとも言いようがないです。雑と言えば雑な気がするし、あんなもんやでって言われたらそっかーって思える気もするし。)

 

ところでツイッターでも書いたことをしつこくここにも書きますね。
最後の桜舞い散る中でのソウゴ君の片目泣きが最の高でした!!!!
こんな分析を考える前から、あの涙だけで「よし成程!切ない初恋の話だったな!」って心で納得してたくらいにはエモーショナルなカットだったよ。すげえいいもんみたなって思っちゃったよ。

回を追うごとに、奥野さんの演技が好きだなあって思う今日この頃なんですよ。
ジオウあと何話残ってんだろうな、寂しいな。

ユーリ!!!はスポーツものだったよという雑感ポエム

※12/8追記ここから※

ごめん10話見たけどやっぱりスポーツもの兼BLだったかもしれん。

※ここまで※

 

ユーリオンアイスを9話まで見て、とてもポエム心を刺激されたので、その勢いで書きました。

あのアニメは「腐向け」「BL」なのか?いや違う、違わないけど違うと思う、という話です。ていうか、どこのジャンルに分類しても、面白いもんは面白いんだから見て見て!という話です。

(ストーリーを横に置いてすら、試し見の価値はあるよね。アニメは動いてなんぼだと思うんだけど、ここぞというシーンの動きの美しさね。スケートシーンはもちろん、9話の月9シーンに「えっ実写かな」って。どこがどうとは説明できないんですけど、マッカチンが2人に前足をかけて尻尾を振っているのを見ながら「実写かな?」って。詳しい人が誰かどこかで説明してくれてるかなあ。あと音楽ね。半端ないよねあの作りこみ。パねぇ~マジパねぇっすわ音楽も全然詳しくないけど。)

 

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視聴前、最初にユーリオンアイスを知った時の認識は「フィギュアスケートもの」だった。その後にどこかで「愛の話だ」という表現を見て、「愛ねぇ…」と半笑いになった。本当に申し訳ございません。7話あたり(遅いね)で納得したのだが、これは確かに愛の話だ。

もう少し省略せずに書くと、フィギュアスケートを題材に、愛をストーリーのテーマにしたワンクールの物語だ。


私はスケオタではないので、オリンピックでやってるなあ程度の知識で書くけれど、フィギュアスケートが、特にジャッジの面で変わったスポーツだなという印象は元々あった。

「速い奴が勝ち」とか「点たくさん取った方が勝ち」というようなシンプルさは無い。テーマを「演じる」完成度を問いながら、同時に4回転のような技術の部分を独立して評価したりする。曲にステップが合ってるかどうかも大事って言ってたね。不思議な競技だ。

たくさんのスケーターの設定を細かく作りこみ、さらにそれを、楽曲や衣装デザインや感情に連動する演技の動き(そう、漫画ではなくアニメでこそ表現できる「動き」での表現、同じキャラクターが同じプログラムを踊る場面で「今日は硬いな」とこちらに心配させるというレベルでの動きの表現!)に落とし込むことで、それでようやくこのスポーツの魅力を十二分に訴えられる、のだろう。

だとしたら前提になる感情を説明しておく必要がある。リンク上の演技や努力のシーンだけでは足りない。ジャンプの凄さやアスリートとしての選手の苦闘を見せるだけなら、アニメにしなくていい。つかそもそもフィクションの物語を作る意味はない。現実の選手を追ってN●Kスペシャルでやったらいい。

 

腐向けの作品があって何が悪いんだと私も思う。男子向けの百合ものがあったっていいし、特に腐向けじゃないけどゲイが出てくる話もあっていい。

ただこのアニメへの「腐向けだろ?」という問いには深読みで「腐媚びだろ?」というニュアンスを感じてしまう。「フィギュアスケートものとしての本筋には必要ないけど腐女子人気を狙ったサービスシーンたっぷりなんだろ?」というニュアンス。

違う。ラブシーン(とあえて書く)はサービスじゃなくてテーマなのだ。ヴィクトルの素っ裸はサービスかもしれないけど。

魔王を倒す旅の途中で美人のお姫様がツンデレしてくるご褒美ラブラブエピソードではなくて、白面の者を倒すにはあの槍と、太陽が必要だよねって話なのだ。獣の槍がどうやってできたのかは語られるべきだ。本筋そのものなんだ。

 

そもそも典型的なBLカテゴリだったら、もっと本編で恋愛の顛末にフォーカスするんじゃないのと思う。(いわゆる「二次創作が書くようなこと」だ。相手のどこをかわいいと思うか、だとか、指が触れて心臓がバクバクする様子だとか。そういうディティール。がっつりと性欲にまつわるエピソードも含んだっていい。)

でも違う。この物語のメインフレームフィギュアスケートだ。スポーツ選手であることは、主人公を説明する属性の一つじゃないのだ。

だってほら、「きのう何食べた?」は料理漫画ジャンル扱いじゃん。

 

そんなわけで、そうだねBLだよと頷きづらい。腐向けだよだからお前はこっちくんな興味ないんだろと言いづらい。強いて言うならスポーツものじゃないかな。すごく真正面からフィギュアスケートに向き合ってる感じするよ。

 

ちっともBLじゃねえよ勘違い乙とも言いづらい。LOVEの話なのは確かだ。ヴィクトルの瞳の輝きはほぼほぼ恋だよね、私もそう思う。セックスしてるわーと思う人がいたって視聴者それぞれの解釈は自由なんだから別にいいんじゃね。私もあるよなって思うよ。

 

そう、解釈は自由と言いつつも、こうだったよ!と訴えたいポイントはある。物語のテーマは愛なんだ。(この1文にポエム成分は含まれておりません。)主人公のプログラムのテーマと同じ。入れ子構造でとてもわかりやすい。

イコンへの憧れ、ライバルとの友情、執着と失恋、兄弟愛、家族への愛、祖国への愛、たくさんのキャラクターが入れ替わり立ち代わり「愛について」のストーリーを抱えて現れる。

勇利は?彼はとびきり分厚い拒絶の殻をまとって「独りで滑る」青年として現れる。愛をもらい続けていても気づいていないし返し方も知らない。

ヴィクトルは?それはもうたくさんの人が言う通り、孤高の皇帝として。内側の読めないイコンとして現れる。愛を放射し続けているけれど求め方を忘れている節がある。

彼らが出会う。一人と一人が出会う。青年の殻は砕かれて、イコンは人間になる。「離れずにそばにいて」欲しい、他の誰でもなくて、あなたが ここに いてほしい という願いが、キーワードとしてそこにある。愛を受け取りたいし、渡したい。あなたが教えたことだから。

 

だから勇利とヴィクトルの関係を、師弟愛とボーイズラブのどちらに解釈したって自由だし、どちらも結局「愛」が付くのだから合っている。「1対1の特別強い好意の結び付き」であれば何だって合ってるのだ。

フィギュアスケートが彼らを繋ぐ。彼らを虜にして人生を燃やさせるスポーツが。選手でいられる時間がとても短いという、スポーツが。

 

トーマの心臓」の話をしたいと思う。

今30代の私が高校生の頃に、既に「古びない名作」扱いになっていた作品。ざっくり言うと、ヨーロッパの男子校(寄宿学校)の中で繰り広げられる愛についての話、でいいんじゃないかな、詳細はWikipediaGoogle先生に聞いたら教えてくれるよ。

高校生で初めて読んだ時の「背徳感が無いという衝撃」を今でも覚えている。少年愛ものだと聞いていたけど、他のBLもので感じたような「同性同士だからこその苦悩」という印象が全然ない。そこは題材でもテーマでも無かったからだろう。少年漫画・青年漫画ばかり読んでいた身には、絵柄や演出に対して「ポエミーだな」とか「おお少女漫画…」と半笑いしてしまう慣れなさはあったけれど、それだけだった。そして物語はとても面白かった。周りに面白かったよと勧めるほど。

あれも愛の話だった。登場人物が少年ばかりなのは必然だった。ユーリオンアイスを見ているとトーマの心臓を思い出す。

 

そんなわけで、このアニメが刺さった私は「腐向けでしょ」「BLでしょ」等と言われたらつい「違うんだ」と思ってしまう。そういう見方だって可能だろうけど違うんだ。あの零れるようなピアノに重なる、エッジが氷を削る音を聞いてくれ。

あれが彼の愛。

不器用で時に独りよがりな黒髪の青年は、心臓を捧げはしない。ただ彼は、彼が受け取った愛と渡したい愛とが確かにここにあると証明するために、競技人生と情熱の全てをかけて、世界の一番高い所で4回転フリップを跳ぼうとしている。

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これ書きながら、ものすっごく今更なことに気づいたんですけど。

1話でヴィクトルが勇利の動画を見ながら、はっと顔を上げるんですよね、あれは、動画の人物とGPFで記念写真を断った選手とが一致した瞬間なのかな?と。

カツキユウリ…カツキ…あの時の6位の彼か!Σ( ゚д゚)って。

いやいきなり日本に押しかけてくるきっかけが、本人談の説明だけだといまいちしっくり来てなかったんですが、記念写真を断られた時のことをヴィクトルも覚えていたというか思い出せていたなら、私としては納得できるんですよね。9話の勇利の「どうして知ってたんだろう」にも繋がるし。

まあでも違うかもしれないです。来期どうしようか悩んでたところにあれを見て、そうだコーチやろう!Σ(  ゚▽ ゚)と天啓を受けただけかもしれない。レジェンドは毎週毎週斜め上だからな…。

 

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